
自分のレーシックなのに落ち着かない…なんて。
わが国におけるスギ花粉症の爆発的増加はよく知られており、気管支瑞息、アトピー性皮層炎の増加も報告されている。
また小児および青年層の瑞息死も徐々に増加しつつある。
まさにアレルギーに関する社会的関心はおおいに高まっているのである。
すでに知られているように、アレルギー疾患は、遺伝的要因と環境的要因が相互に作用して発症することは、まず間違いない。
本書はこの点について、これまでどのようなことが解明されているかを示し、また当面考えられる治療法について、臨床的立場から提言する目的で作られた。
まずアレルギーとは何かについて遺伝と環境の面から説明し、アレルギー疾患を持つ患者が加齢とともにその病態をいかに変化させていくかが述べられ、環境の重要な要素である大気の状態とアレルギー疾患との相関関係について、内外の研究が紹介される。
そのあとで代表的なアレルギー疾患であるスギ花粉症、アトピー性皮膚炎、気管支端息について、環境要因に重点をおいた発症原因を説明し、さらに治療法も示しておいた。
すでに、アレルギーの機序やその治療法を実用的視点から論じた類書は数多いが、そうした書物に通暁している読者を想定し、やや高度な内容となっている。
アレルギーに悩んでおられる方や、アレルギーに関心を寄せる方々のさらなる一助となれば幸いである。
アレルギーは一九○六年、オーストリアの小児科医C・F氏が初めて使った言葉で、ギリシャ語の「アロス」(変じた)と「エルゴン」(能力)の合成語であり、「変化した能力」という意味である。
そのころ、外部から人体の持っていない物質、すなわち異物を注射することによって、人体に有益な「免疫」をもたらす事実と、その一方で、ある物質に対し「過敏症」になる事実がいくつか知られるようになった。
この過敏症に対し、C・F氏はあらたに「アレルギー」という名を与えた。
つまり彼は、過敏症が異物の入ることによって生体が変化した能力であると解釈したのである。
そこで、まず初めに、免疫と過敏症の違いと、それぞれの成立について述べておくことにする。
天然痘は幼児の二○%がこれで死亡したといわれるほど致命率の高い伝染病で、全身に小膿疹(小さいオデキ)ができ、命は助かっても、全身にアバタの残る病気である。
一方、「牛痘」と呼ばれるウシの皮膚病があり、乳絞りをする少女の手にこれが伝染して膿疹はできるが、手の症状だけで回復してしまう。
この牛痘にかかった少女はその後、天然痘にかからないという事実が知られていた。
そこで、イギリスの医師E・J氏は一七九六年、牛痘のかさぶたを少年の皮層に試しに植えたところ、半年後に天然痘のかさぶたを植えても天然痘にかからずにすんだ、と報告した。
現在は、天然痘と牛痘のウイルスの種類は違うが、親戚関係にあるので共通部分があり、牛痘を植え付けると牛痘を中和する抗体が人体に作られて、天然痘ウイルスが侵入した際、牛痘ウイルスと天然痘ウイルスの共通部分に対する抗体が天然痘ウイルスをも中和すると考えられている。
その後、予防注射など、予防に用いられる材料をすべて「ワクチン」と呼ぶようになったが、これはE・J氏が天然痘の予防に用いた牛痘から来た言葉である。
ワクチンの種類には、生菌ワクチン、死菌ワクチン、トキソィド(次頁参照)がある。
E・J氏の偉業を発見したのはフランスのP氏であった。
ウシに炭恒病という病気があり、これは炭直菌という細菌で発病する。
ヒトに伝染すると真黒になって死亡する病気として恐れられた。
P氏はこの炭痕病を起こす細菌を試験管内で培養して増やし、これを弱毒化してヒァ卜に注射すると、炭痘病を予防することができることを知った。
E・J氏の成功によりさまざまな疾病に対する予防注射が考案された。
一つはジフテリアの予防注射である。
ジフテリアはジフテリア菌の持つ毒素(トキシン)によって咽頭に偽膜という膜ができて窒息したり、心臓、腎臓、神経が侵されたりする病気で、以前は恐れられていた病気である。
このように伝染病の原因ウイルスや細菌あるいは細菌毒素と似通ったもの、あるいは作用を弱めたもの、さらに殺したものを人体中に入れることによって、その疫病を免れることができる。
これを免疫という。
これは人体に有益な現象である。
一方、幼児のときに伝染病にかかって助かった場合、通常一生の間、同じ伝染病にはかからない。
これも免疫である。
伝染病にかかって死亡したり、小児麻簿のように後遺症を残したりする場合があるので、現代では予防接種をして人為的に免疫を成立させている。
伝染病を起こす原因には細菌、リケッチア(ツッガ虫病など)、ウイルス、原虫(マラリヤなど)、スピロヘーター(梅毒など)などがあるが、これら原因病原体は徐々に明らかにされ、いまや予防注射で予防できる伝染病はかなりある。
目下、話題のエイズ(後天性免疫不全症候群)は、その原因ウイルスは明らかにされているが、予防注射はまだ確立していない。
E・J氏の種痘は一九世紀に入って世界中に広まり、日本でも長崎のオランダ医師を通じて全国に広まった。
江戸時代末期にできた江戸の「神田お玉が池種痘所」はT大学医学部の前身である。
ジフテリアトキシンをホルマリンで処理して無毒化しても、人体に注射するとなおトキシンを中和する抗体を作らせることができる。
このようなものをトキソイド(類菌毒)という。
このジフテリアトキソイドを用いて予防注射をしておくと、ジフテリアに感染してもジフテリア毒素に対し抵抗性を持つ。
ジフテリアにかかって苦しんでいる人には、ジフテリア抗血清が注射薬として用いられた。
すなわち一八九○年、ドイツの細菌学者E・F・B氏(のちにノーベル賞受賞)と、日本から彼のところに来ていたK・S氏は、ジフテリア毒素をウマに注射して、しばらくたって得られた血清(抗血清)を患者に注射すると病気が治ることがあることを明らかにした。
同様に破傷風に対する抗血清療法も行った。
しかし、ウマ抗血清を注射することによって、逆に血清病と呼ばれる毒麻疹、関節痛、腎臓炎等を起こす例もあった。
C・F氏も狸紅熱に対するウマ血清を患者に注射したところ、血清病を生じたことを報告している。
またウマ抗血清を注射すると、まもなく(数分〜三○分後)ショックで死亡する例も知られた。
これは「アナフィラキシー」あるいは「アナフィラキシー・ショック」と呼ばれるものである。
次に、過敏症の三現象を挙げよう。
このアナフィラキシーは、一九○二年、フランスのR氏とP氏によって見つけられた現象である。
彼らはイソギンチャクの毒に対してイヌを免疫しようとした。
イソギンチャク毒を多量に注射すると、その毒のためにイヌは死亡する。
そこで死なない程度の少量の毒をイヌに注射して免疫にしておいた。
二回目に同量を注射した場合は何も症状が出ないと期待された。
しかし予想に反して、初回注射の数週間後、初回と同量で二回目の注射をしたところ、ただちにイヌは呼吸困難、下痢、下血を起こして死んでしまったのである。
そこで、この現象をアナフィラキシーと呼んだ。
ラテン語で「アナ」は反対、「フィラキシス」は防御、すなわち予防と反対という意味である。
レーシックとしてご利用いただけます。レーシック探しならお任せください。
レーシックがパワーアップしました!トップクラスのレーシックです。
レーシックの道は決して楽ではありません。人気のレーシックが半額キャンペーン中です。
